くんくんくん。

くんくんくん。

口の中がスースーするガムに似た、さわやかな匂いがする。パパは朝から機嫌が良さそうだ。

「もしかして酒くさいか?昨日のお酒がまだ残っているのかな」

そういえば、昨日は家に帰ってきてから仕事がうまくいったお祝いだとワインをガブガブ飲んでいた。

くんくんくん。

トーストを焼き過ぎたような、ちょっとこげくさい匂いがする。ママは朝から何かあったのだろうか。

「ちょっと聞いてよ。ゴンだったら、また鉢植えの葉っぱをかじっている」

そういって、穴の開いたアイビーの葉っぱを見て怒っていた。

くんくんくん。

レモンのような、すっぱい匂いがしている。まだ1才になったばかりのチワワのゴンは、どうやらママにしかられたらしい。元気なく、しゅんとしている。

くんくんくん。

アイビーからも、すっぱい匂いがしている。その葉っぱにはかじられた丸い穴がいくつも開いている。ごめん、痛かったね。

私は、昔から鼻がいい。うれしいときの匂い、怒っているときの匂い、悲しいときの匂い、それらがわかる。

パパからもママからも、そんなの気のせいじゃないと言われた。それはそうだ。こんなことは教科書のどこにも書いてないし、テレビの中でも見たことがない。

 

学校の教室では、前の席のマエノくんとエリカちゃんが楽しそうにおしゃべりをしていた。

くんくんくん。

エリカちゃんからイチゴのような甘い匂いがしてくる。好きな相手といるときの匂いだ。匂いが強いときもあれば、かすかに匂うかなというときもある。今日はやや強めかな。

私の背中に固い何かがぶつかって転がった。痛い。

くんくんくん。

この匂いはごはんの炊けるときの匂いに似ている。

「カミサカ。悪い悪い、手が滑った」

と、コウジくんはそう言って笑っている。絶対わざとだ。こんなふうにサッカーボールをいつもぶつけてくる。私をいじめるときのイヤな匂い。

くんくんくん。

担任の明星先生からは、雨が降る前のときの匂いがしていた。これは不安を感じるときの匂い。

「明星先生、何かあったんですか?」

「どうしたの?カミサカさん、先生は元気よ」

くんくんくん。

いつもと変わらないように見えても、ずっと匂いは消えなかった。先生からはまだ雨の匂いがしている。

何となくこの匂いはそうなのかなと自分なりに当てはめてきた。今までかいだことがない匂いもある。時々わからなくなる。悲しんでいるのに喜んでいたり、先生のように笑っているのに本当は違っていたり・・・。

 

学校の帰りに公園で、同級生の弟のみっちゃんに会った。

「どうしたの?ムク、行くよ」

ムクはみっちゃんの体よりも大きなゴールデンレトリバーの犬だった。みっちゃんがロープを引っ張ってもムクは一歩も動こうとしない。

くんくんくん。

ムクからリンゴみたいな甘い匂いがした。それだけではなくて、遠くからバニラみたいに甘い匂いがしてくる。

「きっとムクはもうすぐ来るお友達を待っているよ」

小さなしっぽを大きく振りながらトイプードルがやってきた。ムクもワンワンとしっぽを振ってそれに応えた。どうやら両想いらしい。

「カミサカさん、こんなところで何してるの?」

声をかけてきたのは同じクラスのアヤトくんだった。彼はサッカーチームに入っていてゴールキーパーをしている。かっこよくて女子の中でも人気がある。前に一度だけ隣の席になったぐらいで、あんまりしゃべったことがない。

くんくんくん。

アヤトくんからバナナみたいな甘い匂いがする。もうどこかにみっちゃんとムクが行ってしまって回りには私の他に誰もいない。犬もいないし、花も咲いていない。これってひょっとして・・・、

「母さんにこれ持たされたんだけど、そんなに匂うかな?」

アヤトくんのかばんから出てきたのは本物のバナナだった。これから練習で持たされたらしい。

うーん。もう、まぎらわしいな。

 

「買っておいてくれって言ったじゃないか!」

「聞いてないわよ。そんなこと、いつ言ったの!」

宿題をしているところだった。家の外から大声が聞こえてびっくりした。外に出てみると、裏のおじいちゃんとおばあちゃんが外で言い争っている。

あわてて家の中に戻ると、

「ママ、大変。おじいちゃんとおばあちゃんがケンカしてる。止めなきゃ」

「いいのよ。ほっときなさい。ケンカするくらいするわよ」

くんくんくん。

そうだろうか。好きなときの甘い匂いなんて、まるでしない。

「あんたも、まだわかっていないわね。仲がいいからよ。そうじゃなかったら何十年も一緒にいないわよ」

それって嫌いだけど、好きってこと?外から見たら仲が悪いけど、実は仲がいいってこと?難しくてよくわからない。

「だいたいおまえは昔からすぐ言いわけする」

「それはあなただってでしょ。この間だって・・・」

おじいちゃんとおばあちゃんのケンカはまだ続いていた。本当に大丈夫なのかな。

くんくんくん。

あれ?この匂いってどこかでかいだことがあるような・・・。

 

「カミサカ。ごめん。また手が滑った」

教室の床にサッカーボールが転がり、コウジくんがにやりと笑った。

くんくんくん。

このごはんの炊けるようなこの匂い。やっぱり、おじいちゃんとおばあちゃんからしていた匂いと同じだ。私はずっとかんちがいをしていたようだ。

「なんだよ、何か文句あるのかよ」

だから、立ち上がってコウジくんに言ってやった。今まで私にイヤな思いをしたこれまでの仕返しをしてやろうと、

「コウジくんなんて、大キライ」

それを聞いたコウジくんは、真っ赤な顔をしてだまって教室から出て行ってしまった。教室にいた何人かのクラスメイトがそれを見ていた。そのとき、少しだけ気分がすっとしたのだ。

くんくんくん。

自分のにおいは、自分ではわからないや。

 

 おしまい)