虹を見るとキミに見せたくなる

 それをはじめに見たのはいつだったろう。もう思い出せないほど、はるか昔。
 どうして雨上がりにだけ現れるのだろう。どうしてあんなにカラフルな七色をしているのだろう。弧を描いているのだろうか。あの端っこはどこにつながっているのだろうか。
 世界は不思議だと思わせてくれるのに十分過ぎるほど十分だった。私はその姿が消えてなくなるまでずっと目を離すことができなかった。

 

「何これ?」
 男子生徒の目の前には一枚の写真がある。それはポータブル型のゲーム機の中に納められていた。それを自慢げに友達に見せびらかせていた。
「どっからどう見ても虹だろ、虹。それ以外に何に見えるんだよ?」
 確かにみると見覚えのある近所の風景の空に虹がぽっかりと浮かんでいる。でも残念ながら、ゲーム機のおまけ程度のカメラであまり性能が高くないことに加えて、ピントが合っておらずボケてしまっている。かろうじて虹だということがわかる程度だった。
 そんなことよりも女子生徒は男子生徒の言い方に腹が立った。
「そんなの誰だって知ってるわよ、バカにしてんの。これが何だったって言うのよ」
「こないだ、家の外に出たら空に出てたんだよ。珍しいから撮ってみた」
 だからそれが何だっていうのって聞いてるのに。女子生徒は男子生徒の手に握られていたゲーム機を女子生徒が奪い取った。
「バッカじゃないの。もう幼稚園児じゃないんだから、こんなの誰も喜びはしないわよ」
「何すんだよ。返せよ」
 いくら男子生徒が背伸びしたところで、女子生徒の伸ばした手の先には届かなかった。それくらい二人には明らかな身長差があった。
「覚えてろよ。今におまえなんか追い抜かしてやるかな」
「いいよ。もしそんときにはあんたの何でも言うこときいてあげるわよ」
 その時、チャイムが鳴って教室に先生が入ってきた。
「誰だ、学校にゲームなんか持ってきてるやつは?それ没収だからな。あとで職員室まで持ってこい」

 

  スマートフォンが震えたのを感じて、若い女性はカバンから取り出した。若い女性の元にメールが届いていた。そこには一枚の風景写真が添付されてある。他にメッセージの類は一切ない。
「何これ?」
 若い女性は電話をかける。呼び出し音を待たずすぐに相手の若い男性が出た。
「よおっ」
「よおっ、じゃないわよ。何なの、あの写真は?」
「見てわかんないのかよ。虹だよ、虹」
「そんなことわかってるわよ。いったい何のつもりなのかって聞いているのよ」
「ちょうど今目の前に出てるから。そっちは出てないか?」
 女性は空を見上げたが、虹などない。それどころかどんよりとした雲に覆われて今にも雨が降ってきそうである。もう一週間以上、雨が降ったり止んだりの天気が続いていた。
 それに若い男性の住んでいる場所から新幹線でも少なくても2時間以上はかかる。天気は違って当然だった。
「こんな写真なんて要らないから。もう二度と送ってこないで。私たちもうそんな関係じゃないんだから」
 幼馴染だから。そんな風に始まった関係は、恋が実る前にいつのまにか枯れて落ちてしまっていた。
「いや、なんかさ。虹を見るとおまえに見せたくなるんだよ。自分でもよくわかんねえけど、何だろうな。そこに山があるから登るみたいな、すまん。気付いたら条件反射で送ってた」
「人を山みたいに言わないで。ただでさえ今日はイヤなことがあって・・・」
「まーまー、そんなことよりよく見てみろ。ただの虹じゃないぞ。虹が二重に出てるんだって。これってかなりレアじゃないか?」
 そう言われて若い女性は写真を見直して初めて気が付いた。確かに大きな虹の外側にも色は薄いが、虹が出ている。
「そんなことより卒業して以来だから4年ぶりだろ。元気にしてるか?」
 若い男性の後ろから遠く、5時の時間を告げる町内放送が聞こえてきた。それはあの頃いつも聞いていた夕焼け小焼けのメロディだった。

 

 中年の男性は写真を撮ってメールを送信した。
「それって、なんかちょっと不幸の手紙みたいだね」
 ちょうど女の子は小学校で流行っている不幸の手紙を思い出した。不幸の手紙をもらった人は同じ内容の手紙を5人に出さないと不幸が訪れるという。
「いやいや、全然違うって」
 中年の男性は苦笑いした。
 女の子は先ほどから目の前の大きな虹を見て、すっかり興奮している。しかもキレイに半円状になって地面とくっついていた。
「不幸の手紙は送った人を不幸にする。でもこれは送った人を幸せな気持ちにしてくれる。いうなれば幸せのメールだよ」
「それならSNSの方がいいんじゃない。もっといっぱいの人に見てもらえるし、それにずっと残るし」
「へー、SNSなんて言葉よく知ってるな」
「もう何言ってるの。それくらいわたしだってやってるんだから」
 これも女の子の小学校でやっていない人はいないくらい、みんながスマートフォンを持っている。学校の授業で分からないことがあればいつでも聞けるし、学校の休みや行事の連絡も回ってくる。今の時代、学校生活には欠かせなかった。
「SNSか。確かにこんな写真を載せたら“いいね”がたくさんもらえそうだ」
「わたし、前に近所のネコの写真を載せて、“いいね”を100コもらったことがあるよ。それでトモダチだって一気に増えたし」
「それでいいじゃないか。きみはネコを見かけたらSNSに載せる。ぼくは虹を見たらメールを送る。それで見た人が幸せになるのならやってることは同じだ」
「そうかな。メールは知っている人だけだけど、SNSだったらもっと多くの人に届けられるのに」
「うーん。でもぼくはSNSってやつがあんまり得意じゃない。ぼくを知らない人に届いても幸せにできるかな。ぼくを知ってる人だけで十分だよ」
「キャー、それってやっぱりママに送っているの?」
 そのとき、ちょうど台所の方から「ゴハンよ」と二人を呼ぶ声がした。中年の男性と女の子は顔を見合わせて、「はーい」と返事した。

 

 ベランダの椅子に腰かけたまま、白ヒゲの老人は空にカメラを向けてシャッターを切った。
「ねぇ、じいじ、どうして泣いてるの?どっか痛いの?」
「年を取るといけないね。涙もろくなる」
「なみだもろいって何?」
 オトコの子が尋ねる。涙が壊れてしまうってことだろうか。
「すぐに泣いてしまうってことだよ。そんなことよりも、ほら、虹だよ。見てごらん」
「にじ?お空にハシがかかってるみたい。ちゅごーい」
「そうか、虹を見るのははじめてかい?7色あるんだよ」
 白ヒゲの老人が虹を見るのももう何十年ぶりのことだった。
 空飛ぶ車が登場してから近ごろは空が騒がしくなってしまった。人々がのんびりと空を見上げることも少なくなった。おまけに気象コントロール装置ができて、昼間に雨が降ることもなくなった夜は雨に降るものだと思い込んでいる子どもも多い。たまにこうして人工ではない天然の雨が降ることは本当に珍しい。
「赤、オレンジ、黄色でしょ。それに緑、青、ムラサキ。あれ?一つたりないや」
「アイ色って知っているかな。青色をもっと濃くしたような色があるんだよ。たしかにちょっとわかりにくいかもね。いったいだれが決めたんだろうね」
 しばらく空を眺めてはしゃいでいたオトコの子も虹に興味を失くして、VRゴーグルをつけて遊んでいる。最新のものは匂いまで再現できるらしい。虹にはゲームのように音も匂いも無い。
 白ヒゲの老人はメールを送信した。送信エラーとはならなかったので相手のメールアカウントはまだ削除されていないようだった。
「ほら、キレイな虹だよ。元気にしてるかい?」
 空に向かって白ヒゲの老人はそうつぶやいた。空にかかる虹が消えても送信メールが既読になることはなかった。

 

(完)