とあるイノシシ一家との戦いの記憶


「あーっ!またやられとる」
 昨日まで私の目の前には数十メートルに渡って石垣がありました。今はその崩れた石ころで道の半分以上を塞いでしまっていました。これでは人間は通れても一輪車を通すことができません。
 つい最近、毎日コツコツと石を積み上げて、1ヶ月以上かけて修復したばかりだというのに、同じ作業をまたするのかと思うと、軽いめまいがしました。
 それはイノシシの仕業でした。昔からこの辺りはイノシシが出る地域でありましたが、近頃は被害がひどくて、ニンジン畑が全滅したこともありました。イノシシは石垣を崩して、そこに隠れているカニやミミズを食べるのでした。  イノシシ除けに行きつけの散髪屋から人間の匂いを嫌がると聞いて髪の毛を辺りにバラまいていたのですが、効果がなかったようです。以前にはトウガラシの紛が効くと聞いて撒いたこともあります。イノシシもしばらくはそれを嫌がっていたようですが、そのうちそれだけを上手に避けるようになって効果がなくなりました。
「ここもひどいな。わしんところの畑もやられてしもとる」
 声をかけてきたのは、同じ農家のケンさんでした。私よりも10歳以上年上で、私よりも広い畑を持っています。わからないことがあれば、何でも教えてくれる頼れる人でした。
 ケンさんの畑を見に行くと、ありこち掘り返されて、野菜が食い散らかされていました。中にはまだ小さいジャガイモや、食べかけのダイコンもありました。イノシシが入れないように網をかけていたのですが、それもやぶられていました。収穫した野菜は市内の直売所で販売しているのですが、それらはもう売り物にはなりません。
「リョウよ。わしはあいつらに食わせるためにここで野菜を育とるわけやない」
 あと少しで出荷できるところまできていたのに、ケンさんは怒りでプルプルと小刻みに震えていました。同じ農家として、大事に育ててきた野菜を荒らされたその気持ちは痛いほどわかります。
「さすがにもう我慢の限界じゃ。もうこうなったら猟友会に頼むしかない」
 ケンさんの猟友会という言葉を聞いて私は息を飲みました。それはイノシシを殺してしまうということを意味します。

 ホサカさんの家は、長い階段を上ったところにありました。大きな門構えの立派な家でした。
「今はわしらもだいぶ忙しいけんの」
 手土産の菓子折りを受け取りながら、猟友会の代表のホサカさんは言いました。普段は建設の仕事をしていると聞いていました。背が高く、がっしりとした体つきをしていました。
 この地域一帯で野生動物による被害は増加していると聞いています。それを駆除するのが猟友会でした。猟銃の免許資格を持ち、許可を得て野生動物を撃つことが許されています。
「やってやりたいんじゃけど、他にも頼まれとって来月まで手いっぱいで予約で埋まって時間が足らん。悪いんやけど再来月まで待ってくれるか」
 通された客間でホサカさんは、ちょうど猟銃の手入れをしていたようで、バラバラに分解された銃を前にそう言いました。そのすぐそばで大きな黒い犬が寝転んでします。身体の毛は薄く、足は細く引き締まっています。イノシシを追い立てるための猟犬でした。それが3匹いました。
「ホサカさん、そう言わんとそこを何とかお願いします。2ケ月も待ちよったら何もかも食われてしまう。これはほんの気持ちじゃから」
 ケンさんは頭を下げて用意していた封筒をそっと渡しました。
 ホサカさんはその中身を確認すると、
「すぐに仲間を集めたるけん。わしらに任せとかんかい」
 ホサカさんは金ピカに光る歯を見せながら、ガハハハと笑いました。


 1週間も経たないうちにホサカさんたちはやってきました。猟銃を構えた3人が合図すると、それぞれが引き連れた猟犬がワンワンと山に向かって駆けて行きました。
「もし獲れなかっても文句言わんといてな」
 そう言ったのは背中を丸くしたトバさんと呼ばれる方でした。普段は市役所で働いていて最近の鳥獣被害の増加を受けて何とかしたいと最近になって資格を取ったと聞きました。
「そんなこと言うな、トバさん。今日は2匹は仕留めたるけん」
 猟に入っても獲れる確率は半分以下だと言います。ホサカさんは先日会ったときとは別人のようにヒゲを伸ばしていました。
 もう一人のシゲさんは眼光鋭い白髪の男性でした。一番のベテランで銃の腕前は一番いいと聞いていました。これまでに10匹以上のイノシシを仕留めたことがあるそうです。
 私はケンさんと一緒に山のふもとで3人の帰りを待っていました。危ないので今日は山に入るな、と言われていました。
「ケンさん、今更ですけど……。私も確かにイノシシは憎い。でも命まで取ろうなんて思っていない。どうせなら怖い目にあって山奥に逃げて、もう二度と出て来ないで欲しい」
「リュウよ、ここは心を鬼にせないかん。わしらだって生きていかないかん。そのためには野菜を育てないかん。また被害が出たらどうすんぞ。それに里まで下りて来とるいうのは、子供や年寄りも襲われるかもしれんいうことぞ」
 イノシシも臆病な動物だとはいえ、大人になると100kgを超えます。そんな巨体に突進されたら無事では済みません。実際に、イノシシに遭遇して怪我をしたというニュースも増えてきています。
 ズダーーーン。
 そのとき、辺りに銃声が響きました。山の方を見ましたが、いったいどこから聞こえてきたのか、わからないほど山に木霊しました。
 ズダーーーン。
 すぐにもう一発銃声が聞こえました。また同じように木霊して高い空に吸い込まれていきました。

 しばらくして大きなイノシシを木の棒に括り付けて、興奮した3人が戻ってきました。
「トバさんがやりおった。大物のメスのイノシシじゃ。これは100kgは超えとる」
 すぐにさばいて血抜きをしないと肉が臭くなるそうで、近くの河原に3人が下りていきました。イノシシの腹を裂いて内蔵を取り出しました。その間、河原は血の匂いで溢れていました。その血で川の水は真っ赤に染まっていました。
「イノシシは内臓もうまいんぞ。わけたろうか?」
 嬉しそうにいうホサカさんの申し出を、私は断りました。先ほどから見ているだけでだんだん気持ち悪くなって、途中で見るのを止めました。とても食べる気にはなれそうもありません。
「川の水でしばらく冷やした方がいい。そうするとダニや寄生虫も逃げいていく」
 シゲさんの指示にしたがって捕ったイノシシを川の中に沈めました。
 その場を離れてケンさんの家で休憩する間、出前にウナギを取ることにしました。私にもとろうかとケンさんが声をかけてくれましたが、先ほどのイノシシの解体する様子を見て食欲を失くしていました。
「それにしてもトバさん。大きいやつを仕留めたのう」
「いやいや、あれはまぐれまぐれ」
「それにしても惜しかったの。もう1匹おったのに仕留めそこなった」
「あれも大きかったな。ありゃ夫婦かもしれんのう」
 3人はウサギを頬張りながら、子供のように目を輝かせてはしゃいでいました。
「イノシシが獲れたんだからお祝いじゃ、もう一つええじゃろ」
とホサカさんはウナギの出前をおかわりしました。

   腹を満たした猟友会の3人と河原に戻ると、先ほど仕留めたイノシシのそばで何かがもぞもぞと動いていました。
「ありゃ、ウリ坊や」
 ウリ坊とは、イノシシの子供のことで、体にウリのような模様があることからその名で呼ばれていました。全部で4匹いました。
「さっきのイノシシの子供らかもしれん。こりゃほんまに今日はついとる」
 ホサカさんが犬たちに合図をすると一斉に襲いかかりました。逃げ遅れた1匹のウリ坊を取り囲みました。自分の体より大きな犬たちに囲まれて、ウリ坊も徐々に追い詰められていきました。最初は果敢に立ち向かっていましたが、犬に噛みつかれるたびに振り払う力が弱くなっています。
「さっきはトバさんにええところ、持っていかれたからな。トドメはわしがさいちゃる」
 私はこれ以上は見ていられず、
「もう一匹獲ったんやったら十分やろ 。そこまでせんでもええ、かわいそうじゃないか」
「馬鹿言うな。こいつらが大きくなったらおんなじことの繰り返しやぞ。また撃たんといかんなる。だったら今、仕留めてもおんなじことやろ」
「でも、イノシシだって生きている。石垣を崩したり、野菜を取ったりで命まで取られたら割りに合わん」
 目の色を変えたホサカさんに胸ぐらをつかまれて、
「おまえらがわしらに頼んだんぞ。今更何言よんぞ。わしらだって頼まれた以上は遊びでやりよるわけやない。こっちだって命がけぞ」
 確かにイノシシを退治してほしいと依頼したのは私たちでした。
 私がそれ以上何も言えないのを見て、目の色を戻したホサカさんは私から手を放しました。
「銃は撃つところが悪いと内臓を傷つけて肉がクサなる。トバさんはまだ下手くそやから、さっきは内臓がぐちゃぐちゃやった。ほんまは心臓をドンと一発で撃たないかん。肉がマズなる」
 猟銃の代わりに腰に下げていたナイフを構えて、
「それにな、子どもの肉の方がやわらかくてうまい」
 ホサカさんは金ピカの歯を見せてにんまりと笑った。
 そして雄たけびをあげながら、ウリ坊に飛び掛かっていきました。心臓を突こうとナイフを刺しますが、ウリ坊が暴れてうまくいかないようです。
 犬たちに噛まれ、ホサカさんにナイフで刺され、やがてウリ坊はぐったりとして動かなくなりました。ホサカさんはその足を持ち上げて再び雄たけびをあげました。
「ちょうどええ。このまま丸焼きにしたる」
 その時でした。黒い影が横切ったかと思うと、次の瞬間にはホサカさんの体は吹き飛ばされて、川に落ちて飛沫をあげました。黒い影は今度は犬たちに襲い掛かります。跳ね飛ばされた犬たちが空高く宙を舞いました。犬たちの苦痛の鳴き声が聞こえました。それでも犬たちはワンワンと黒い影に立ち向かっていきます。
「大事じゃ」
 銃を構えたシゲさんとトバさんは、すぐに助けに向かいました。
 ズダーーーン。
と最初の一発は犬たちへの合図でした。一斉に犬たちが黒い影から離れました。
 ズダーーーン。
 ズダーーーン。
と、シゲさんが続け様に撃った銃弾が当たって黒い影は倒れました。
 私たちは川の中で一人では立ち上がれないホサカさんのところへ駆け寄りました。
「大丈夫か?」
 ケンさんと二人で川から引き上げましたが、ホサカさんはウンウンとうなるだけで動けませんでした。
「こりゃ骨が折れとるかもしれん。動かさん方がええ」
 黒い影に近寄ってみると、それは先ほど仕留めたメスよりも、大きなオスのイノシシでした。まだ生きていて最後の力を振り絞って水の中からメスのイノシシを引き上げようとしていました。
「すまんな、そいつはもう助からん」
 シゲさんはナイフを手に持ち、オスのイノシシにトドメを刺しました。一匹の上に折り重なるようにイノシシは倒れました。
 いつのまにかあのウリ坊はいなくなっていました。

 しばらくして救急車とパトカーがやってきて、辺りは騒然となりました。
 ホサカさんは、跳ね飛ばされたときに強打して腰の骨を折るほどの重傷でした。2匹の猟犬がイノシシの犠牲になりました。他に3匹の猟犬が重症で立ち上がることができませんでした。犬たちはトバさんとシゲさんの車に載せられ、2匹のイノシシは消防車に載せられていきました。そのうちテレビ局までやってきて、野次馬たちがたくさん集まっていました。
 人だかりが去った後、ケンさんと二人で再び河原にいってみると、そこには黒い血のシミが残り、獣の匂いが色濃く漂っていました。
「おい、あれ見てみ」
 ケンさんが指さす方向を見ると、
「さっきのウリ坊かの?無事だったんか」
 数えてみると、そこには4匹のウリ坊がいました。
「山に帰れ。もう2度と出てくるなよ」
 私はイノシシたちに叫びました。夕陽はずいぶんと傾き、空は真っ赤に染まっていました。

    (完)