とあるニンゲンたちとの戦いの記憶


「お母さん、あれもキカイなの?」
 真っ暗な闇を照らして、何匹もの大きなキカイがブルブルと大きな音を立てています。キカイには色んな種類がある、とお父さんから前に教わりました。背の高いやつが木を倒して、動きの早いやつが石を運んできて、体の大きいやつが石を押しつぶして、道ができあがっていきます。
「いい?絶対にあれに近づいたダメよ」
「はーい」
 お母さんの後にくっついて、まずぼくが、その後に弟のリリとルル、それから一番下の妹のララが続いて歩いていきます。
「昔はこのあたりも大きな川があったんだけど、だんだんと住むところが少なくなっていくわね」
 木が倒され木の実がなくなればそれを食べていた小動物がいなくなり、川がなくなれば魚がいなくなってしまいます。やがてそれらを食べていた動物たちもいなくなってしまいました。それにニンゲンの出すくさい匂いを避けて山奥へ逃げていった動物もたくさんいると、お父さんから前に聞いたことがあります。
 まだ体の一番小さいララが遅れていないか、時々、後ろを振り返って確認しました。
「ロロ兄ちゃん、お腹空いた。もう歩けない」
「ララ、お母さんを困らせてはいけないよ。もうちょっとがんばろう」
 イノシシ5匹が暮らしていくためには今まで住んでいたところでは食べるものが足りません。早く新しく住むところを見つけたいところです。
「おい、おまえら。ここはおれたちの縄張りだぞ。あっちいけ!」
 急に脇道から姿を現したのは、若いオスのイノシシでした。ブヒブヒとものすごい勢い怒っていました。周りにはそのイノシシだけでなく姿は見えませんが、他にも何匹かいるような匂いがしました。
「すみません。すぐ出ていきますから」
 お母さんが頭を下げて急いで立ち去りました。
 途中でおいしそうなタケノコが生えていても食べることはできません。ここは相手の縄張りになります。食べ物を勝手に取ったらケンカになってしまいます。やはり姿は見えませんが、若いイノシシが後をずっと追いかけてくる匂いがしていました。
「ロロ兄ちゃん、お腹空いたよ」
「ララ、もう少しだから我慢しよう」
 ようやくその匂いが消えた頃、空はずいぶん明るくなっていました。
「もうすぐ夜が明けそうね。今日はここで休みしましょう」
 ぼくたちイノシシは昼間眠って夜に活動します。お母さんのすぐそばで、ぼくたち兄弟は揃って眠り始めました。歩き疲れていたのか、リリもルルもすぐ眠りにつきました。
「お母さん、お腹空いた……」
 ララの寝言でした。その言葉を聞いたのは何度目でしょうか。
 そういえば、ぼくもまだ今日は何も食べていなかったな……。
 その日、お腹はペコペコでしたが、お腹いっぱい食べ物を食べる夢を見ました。


 それからぼくたちはずいぶんあちこちを探しましたが、なかなか食べ物にありつけませんでした。仕方なくぼくたちは木の根っこをかじってお腹を満たしましたが、土の味がするだけで全くおいしくはありません。お母さんもここ何日かの間にずいぶんやせてしまった気がします。
「これからどうするの?お母さん」
 こんなに食べ物がない場所ではとても暮らしていけそうもありません。
「里に下りてみるわ」
「えっ、それってニンゲンの縄張りじゃないの?」
 大きなキカイだけでなく、ニンゲンは危険な生き物だとお父さんから聞いたことがあります。
 お父さんはぼくにいろんなことを教えてくれました。イノシシの世界では親子で暮らせるのはほんのわずかな間だけです。だからお父さんが「食べ物を探してくるから」と急に帰ってこなくなった日も、そのときが来たんだとぼくは思いました。
「食べ物がたくさんあるって聞いたことがあるから、まずはお母さんだけで行ってみる。だから、ロロ、みんなのことを頼むわね」
 お母さんは暗くなってから里に出ていきました。
 待っている間、ぼくら4匹は留守番です。ルルとリリは退屈を持て余して、どこかへ出かけてしまいました。「あまり遠くに行ってはいけないよ」とぼくは弟たちに言い聞かせました。ララは動くとお腹が空くからと寝ていました。
 空が明るくなってもお母さんは帰ってきませんでした。
「ロロ兄ちゃん、お腹空いたよ」
 前に地面を掘り返してお父さんがミミズを採ってくれたことがありました。辺りの地面をやみくもに掘り返してみましたが、石ころが出てくるばかりでした。
 あー、こんなことならお父さんにちゃんと習っておけばよかったな。
「あっ、お母さんの匂いがする」
 ララの言う通り、お母さんが帰ってきました。お母さんは食べ物を抱えていました。中には今まで見たことのない食べ物もありました。
「これ、全部食べてもいいの?」
 ルルとリリは返事を聞く前にすでに食べ始めまていました。何日ぶりのまともな食事でしょうか。
「ララの分もちゃんと残しておけよ」とぼくが言うと、
「持って帰れなかったけど、まだたくさんあるから大丈夫よ。今晩、みんなで行きましょう 。ロロも食べなさい」
 この赤い「ニンジン」という食べ物は初めて食べてみました。それはクセになりそうなほど甘くてとてもおいしかったのです。ニンゲンたちはいつもこんなおいしい食べ物を食べているのでしょうか。
 夜になると、ぼくらは動き出しました。ぼくたちは遅れないようにお母さんの後をつけていきました。遠くでニンゲンの匂いがしましたが、近寄ってくる匂いはありません。そこには信じられないほど食べ物であふれていました。
 ララが口に食べ物をいっぱいに詰め込んだまま、
「こんなにお腹いっぱい食べられない。もう死んでもいい」
 ぼくたちは結局、そこにあった全部のニンジンを平らげてしまいました。
 もう明日から山の中を食べ物を探して歩き回らなくていいのか、と思うとぼくはホッとしました。

 そんな平和な日がしばらく続くある日、ララと二人で散歩していると山の中で見たことのない生き物と出くわしました。お母さんにまだ教わっていない生き物でした。体はぼくの方が大きいけど、4本足でひょろりと立ち、背の高さでは負けていました。それに大きな口をしていました。
「あなたは誰なの?私たちとお友達になろうよ」
 グウウとうなり声をあげて近づいてきます。待てよ。なんだか様子がおかしい。
 そいつはいきなりララに噛みついてきました。ぼくは間一髪のところでそいつに体当たりして間に割って入りました。
「いきなり何するんだ!」
 その生き物は1匹だけではありませんでした。いつのまにか周りを囲まれていました。
「ララ、逃げろ。こいつらニンゲンの匂いがする」
 ワンワンと声を出して逃げようとしても足が速く先回りされてしまいます。逃げるのが必死で、自分がどこにいるのかもわからなくなりました。
「ロロ兄ちゃん、怖いよ・・・」
「ララ、泣くな。今は走るんだ」
 足や体を何度も噛まれました。ニンゲンの匂いがだんだんと強くなって、追い詰められていくような気がしました。これ以上走れそうもありません。前を走るララももう限界のようでした。
 もうダメだと思ったとき、
 間に立ちふさがったのはお母さんでした。体の大きいお母さんは体当たりで1匹を跳ね飛ばしました。キャンキャンと吠えながら後ずさりしました。
「ロロ、よく頑張ったわね。こいつらはイヌっていうニンゲンの仲間よ。覚えときなさい」
 次々にイヌたちが襲い掛かってきましたが、お母さんは次々と鼻先をうまくつかって、イヌたちを跳ね飛ばしていきます。
「さあ、次はどいつが痛い目にあいたい?」
 やっぱりお母さんはすごいや。
 ズダーーーーン。
 耳が痛くなるようようなものすごい大きな音がして、お母さんの体には穴が開いて、そこから赤い血が噴き出しています。
「えっ?何?どうしたの?お母さん」
 ズダーーーーン。
 もう一度同じ大きな音がして、お母さんは倒れました。
「あ、あなたたち。早く逃げなさい…」
「でもお母さん置いていけない」
「いいから早く逃げて!!」
 こちらにニンゲンたちが近づいてくる匂いがしました。お母さんにいったい何が起こったのか、、わかりませんでした。ぼくたちはお母さんに言われるままに怖くて一目散に逃げ出しました。

「お兄ちゃんたち、大丈夫?」
 ルルとリリも無事逃げてきていました。同じ目にあったようで2匹とも傷だらけでした。イヌたちはもう追ってはきませんでした。
「ぼくたちは大丈夫。でもお母さんが…」
「お母さんがいなくて、これからどうするんだよ」
 リリは今にも泣きそうでした。
「待って。……お母さんの匂いがする」
 ララが言う通り、匂いを嗅ぐと、確かにお母さんの匂いがします。
「行ってみよう」
 ぼくたちはお母さんの匂いがする方へ向かいました。匂いは段々と濃くなっていきました。
 森を出ていつも食べ物がたくさんあった場所を抜けると、川に出ました。ここまで来たのは初めてでした。お母さんの匂いだけはあちこちにあるのに、お母さんの姿はどこにもありませんでした。
「あっ、お母さんだ。あんなところにいる」
 ララが指す先は川の中でした。お母さんは水の中にいました。
「お母さん、すごい。お魚さんみたい」
 うれしそうなルルの問いかけにも、
「お母さん。怖いよ早く森へ帰ろうよ」
 泣きそうなリリの言葉にも、
「ねえ、ララにも泳ぎ方を教えて」
 いつもララの甘えた声にも、お母さんは何も応えませんでした。
 4匹で水の中から引き上げようとしてもお母さんの体はとても重く、冷たい川の流れに揺れていました。何よりお母さんの体には大きな穴が開いていて中身は空っぽでした。
 もうお母さんの声を聞くことも、一緒に食べ物を食べることも、一緒に散歩することも、もうできません。
 そこへワンワンとまたさっきのイヌたちが現れました。ぼくたちは慌てて逃げ出しました。しかし逃げ遅れたララがイヌたちに取り囲まれてしまいました。
「いたい、助けて。助けて。あなたたち、どうしてこんなひどいことするの・・・」
 ぼくはララとイヌの間に割って入って、「早く逃げろ」とイヌたちを体当たりして追い払いました。
 戦い方はさっきお母さんを見せてくれました。力では負けません。お母さんを真似して鼻先でイヌたちを跳ね飛ばしてやりました。
 その隙にララが足を引きずりながら森の中へ逃げていくのが見えました。ルルとリリもうまく逃げたようです。3匹ともけがをしています。追いつかれないために、もう少し時間を稼がないと…。
 1匹を跳ね飛ばすうちに、他のイヌたちが噛みついてきます。イヌたちはするどい牙をもっていて噛みつかれるとなかなか離してくれません。ぼくの背中は熱い毛で覆われているとはいえ、傷だらけになっていました。それに焼けるように痛みが襲ってきました。
 イヌたちが一瞬動きを停めました。見るとニンゲンが何かを叫びながらこちらに走ってきました。ニンゲンをこんなに間近で見るのは初めてでした。二本足で立つととても背が高くて、顔がツルツルとして不気味でした。地面についていない方の足にキラキラと光るとがったモノを持っていました。今まで見てきたあらゆる生き物の中で一番怖くて、ぼくは思わず足がすくみました。
 ニンゲンはとがったモノをぼくの体に突き刺しました。何度も、何度も、何度も。その度に体にするどい痛みが走りました。辺りにぼくの赤い血で染まっていきました。
 やがてぼくは立っていることさえできなくなって、その場に倒れました。ニンゲンがぼくの足をつかんで持ち上げて何かを言いました。ですが、ぼくにはニンゲンの言葉はわかりません。
「なんでこんなことヒドイことをするんだ……。なんでお母さんを殺したんだ……」
 答えは返ってきませんでした。ぼくもお母さんみたいになるんだ、と思うと涙がこぼれてきました。
 ぼくの目の前を黒い影が通り過ぎていきました。一瞬、ニンゲンが視界から消えたかと思うと、お母さんの沈んでいた川の方へ吹き飛びました。水飛沫があがって、いったい何が起きたのか、ぼくにはわかりませんでした。
 ぼくの目の前には大きな体をイノシシが立っていました。この匂いをぼくは知っています。
「お、お父さん・・・!?」
 お父さんは次々に周りを取り囲んでいたイヌたちを投げ飛ばしていきます。
「ロロ、早く立つんだ」
 ぼくは力を振り絞って立ちました。体中がズキズキと痛んで、血が噴き出してきます。他のニンゲンたちがこちらに向かって走ってくるのが見えました。
「お父さんも一緒に逃げようよ……」
「ダメだ。ここはおれが食い止める」
「いやだよ、ぼく一人でなんて行けない……」
「おまえには兄弟たちがいるだろ。お母さやおれがいなくても、おまえたちは立派なイノシシになるんだぞ」
 お父さんはぼくの背中をドンと突きました。
 ズダーーーーン。
 またあの大きな音が聞こえました。空気を切り裂くような音でした。どうやらニンゲンの持っている細長い棒から音が出ているようでした。
「振り返るな。そのまま突っ走れ!!」
 後ろからお父さんの声が聞こえました。
 ズダーーーーン。ズダーーーーン。
 ぼくは逃げました。だってお父さんが振り返るなって言ったから。突っ走れって言ったから。でも本当は怖くて、怖くて。


 動かなくなったお父さんをニンゲンたちが取り囲んでいました。そばにはルルとリリ、ララがいました。3匹とも傷だらけでした。ララはまだ足を引きずっています。赤くキラキラと光るキカイが何匹もやってきて、お父さんもニンゲンたちにズルズルと引きずられて行きました。川に沈んでいたお母さんも引き上げられて、ニンゲンたちのキカイに載せられてどこかへ行きました。
 騒がしいニンゲンたちがいなくなるとぼくたちは河原に行きました。辺りにはまだお父さんとお母さんの匂いが色濃く残っています。
「お母さん、お父さん・・・」
 ララが泣き始めたのをきっかけに、リリとルルも泣き出しました。
 遠くからニンゲンたちがこちらを見ていました。あのとき、それはお父さんを撃ったニンゲンでした。ぼくは泣くのを我慢しました。ぼくはあのニンゲンたちのこの目に焼き付けました。二度と忘れないように。いつか立派なイノシシになって、お父さんとお母さんの仇を取ってやる。おまえら一匹残らず。
 ぼくは辺りを真っ赤に染めていく夕陽にそう誓いました。

    (完)